2008年11月17日

『日本語が亡びるとき -英語の世紀の中で』 著:水村美苗

私が非常に憧れ尊敬している人の一人に、
梅田望夫さんがいる。

その梅田さんが、読めという本ってことで、
読みたいと思いつつ、リアル金欠から買ってなかった本を、
やっぱり今日衝動買いした。



タイトルは、『日本語が亡びるとき ー英語の世紀の中で』
著者は、水村美苗さん。

私は小説をさほど読まないため、
(大学時代に読んだのは、カラマーゾフの兄弟だけだ)
著者のことは初めて知ったが、有名な小説家らしい。

小説家の小説ではない作品ということで、
どのような内容を期待すれば良いか分からないまま、
とりあえず読み出したが気がつけば読み通してしまっていた。

そして記憶の新しい間に記録したいと思って、
明日会社なのにいまからブログを書いている。


言語には、三種類存在する。
「普遍語」、「国語」、「現地語」の三種類である。

ごくごく簡単に要約すると、
■普遍語:学問の言葉。知を求める人が読み、多くの人に伝える際に使用される言語である。歴史でいえば、聖書の書かれていたラテン語や、儒学の書かれていた漢文がこれに当たる。
■国語:現地語が、翻訳という行為を通して「普遍語」と同じレベルに上がった言語である。日本語やフランス語がこれにあたる。
■現地語:いわゆる口語俗語であり、一般的に使用される言語になる。方言などもここに当たる。

で、ポイントは英語がこれから「普遍語」になっていくということだ。

教授が論文を発表するのは、英語であり、
世界的に名誉ある論文集は全て英語である。
世界上位20位の大学はアメリカにあり、
googleの情報量は英語が圧倒的に多い。

知は英語をベースとして形成されているのである。

これは否定し難い現実であり、自分自身本当にそう思う。
以前、先輩より早く解を出せたエピソードを書いたが、
それはただ英語が分かったからできたことである。
でもただ英語とはいえ、その差は大きいというのは書いた通りだ。

そこで日本語はどうなるのか?という問いに著者は答えている。
英語が普遍語になった場合、日本語で「書く」人はいるのか?
優れた人ほど英語で書くようになるのではないか?

何か気になる点が多すぎて要約するよりも、
読んでもらった方が良いからその解の説明は止めるけど、
非常に考えさせられる。

小説家かつこれほどの言語に対する見解があるのは、
素直にすごいと感じた。
また表現方法が論述ではなく、小説風な箇所があり、
他の文献とは違う点が非常に興味深かった。

個人的には文章の組み立て方として、
結論をキーセンテンスとして、
キーセンテンスの言葉をそれぞれ定義して行くという構造が、
なるほど分かりやすいと思って参考にしたいと感じた。
あとイントロが自己体験物語風なのは、そう簡単に真似できないが、
若干落語のようで面白かった。

個人的な結論としては、
・英語もっと勉強しよう。
・叡智にアクセスする力を持っているのだから有効活用しよう。
・日本語らしさ、美しさを意識しよう。


---
この本とは若干ずれるかもしれないが、
自分は最近ビジネス文章にすごく違和感を感じている。

その違和感というのは、文章のロジックである。
WHAT→WHY→SO WHAT?や文章の構造化。
これに違和感を感じざるを得ない。

違和感というのは、これらが英語の構造であるにも関わらず、
日本語に適応させている点である。

確かに構造化できていて、分かりやすいのかもしれない。
ってか分かりやすい。

でもこういう文章を書いていると、
出来上がるのは、淡々とした文章である。
個人的には面白さや臨場感が一切ない文章に見える。
(無論ビジネスの場ではそれが重要なのは分かるが)

そこにあるのはただ文字通りの情報であり、
それ以上のことは伝えられていない気がする。

この本を読んでいて、非常に気に入った箇所がある。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し 
(中略)
仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し
(中略)
フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し
(中略)
フランスへ行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い

-p.307~308


この四つの記述方法では述べていることは全く一緒だが、
四種類の違う受け取り方ができる。

最初のは頼りなさや不安な様子が感じられるが、
二つ目はそれが消えてしまう。
三つ目は当たり前のことを言っているだけの印象になり、
四つ目は、もう関心が一切生まれない文章になっている。

こういう記述方法、表現方法によって、
「意味」や「臨場感」を含ませられるのは、日本語の強みだと思う。

ただ構造化するのではなく、このような日本語の強みを、
表現方法に含めて行くことができれば、
文章の意味するところ以上に伝えることができる気がする。

当たり前だが、日本語で文章を書く以上、
日本語の強みを使いこなせなければ良い文章は書けない。

自分は前述した様に小説を読まないし、
そんなうまく表現することは苦手だが、意識してみたいところだ。

とはいえ書類では使えないから、プレゼン用だな。


う〜ん眠いから乱文すみません。




posted by タカダマン at 02:17| 千葉 霧| Comment(2) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして、木下と申します。
この本を読んで、私も遅まきながら日本語の表現方法の豊かさを再発見した氣が致しました。
タカダマン様が仰るように、ビジネスの場でもそういった良さを引き出せるようなりたいですね。
Posted by 木下茂雄 at 2008年11月17日 16:33
>木下さん
初めまして。コメントありがとうございます!
日本語や日本文化の独自性は頻繁に話題に上がりますが、日本語の独自性を活かすという話はそれほど聞きませんし、自分にもそれほどなかった視点でした。
英語を受け入れるべきなのか、国語を守るべきかどっちが正しいのかは分かりませんが、まず国語を知ることが重要だと今更ながら感じています。
Posted by タカダマン at 2008年11月18日 01:58
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「日本語が亡びるとき」を読んで(1)
Excerpt: 水村美苗の「日本語が亡びるとき・英語の世紀の中で」(筑摩書房)を読みました。新書的な解説とは全く異質の、長編小説を読み終えたような読後感です。日本語に対する愛しさを込めて書かれた、「日本語の生涯」を永...
Weblog: 志村建世のブログ
Tracked: 2008-11-26 11:38